獣医師による手作り食・自然療法ガイド

野生のキツネ2頭の鍼治療

少々古い2005年の論文ですが、当サイトの獣医師が野生動物にも鍼治療が効くことを知り、鍼灸を学ぶきっかけになった症例報告書です。筆頭著者は、当時英国で活動していた動物鍼灸師。著作権保護のため、論文に掲載されている写真を転載することはできませんが、下の論文リンクをクリックすると論文をPDFでダウンロードできます。野生のキツネが押さえつけられることなくリラックスしながら鍼治療を受けている様子をぜひご覧ください。

症例1:外傷による橈骨神経麻痺

1頭目は約1歳の雄のキツネ。車にはねられたところを、野生動物保護センターが保護。右前肢の橈骨神経麻痺と診断されたため、鍼灸師に紹介。

医学的所見(事故の1週間後)

  • 右側の肘・手根・指の伸展不可
  • 姿勢性伸筋突伸反応喪失
  • 荷重なし
  • 三頭筋反射喪失
  • 皮膚知覚喪失
  • 筋萎縮

中医学的所見(事故の1週間後)

  • 気滞・瘀血(エネルギーや血液の流れが滞ること)による患部筋肉の養分不足

治療の経過

  • 治療目標:患部への気と血液の流れを回復させる。
  • 針治療部位:
  • 全身性の作用があるツボ:陽陵泉・足三里・曲池・百会
  • 患部周辺のツボ:大抒・肺腧・手三里・肩髃・尺沢・曲沢・少海
  • 離れた部位にあって患部に作用するツボ:合谷・列缼

最初に鎮静効果のある百会 (GV 20)というツボに針をさし、緊張が取れたところで他のツボにも施針。全身に作用するツボ(4種類)は毎回使用し、他のツボは反応次第で変更。理学療法とマッサージを併用しながら 1日おきに5回鍼治療を実施。その後、週1回で継続。

  • 治療への反応:治療開始後10日目(5回目)までに肘・手首の可動域が大きく改善し、伸展ができるように。最初は嫌がっていたマズルも嫌がらずに装着できるようになった。
  • 転帰:創傷治癒過程で起こる患部の疼きをコントロールすることができず、ある日創傷部を自分で噛んでしまい、断脚を余儀なくされる。
  • 神経麻痺における鍼治療の役割:
  • GABA・内因性オピオイド・ステロイドホルモン・オキシトシン等の放出による患部の疼痛や緊張、ストレスの緩和
  • 鍼治療が神経麻痺に効く条件:
  • 神経が完全に切断されていないこと
  • 理学療法やマッサージの併用で筋肉の機能回復・維持を行うこと

症例2:トキソプラズマ・犬伝染性肝炎感染後の異常行動と攻撃性

2頭目は約5歳の雌のキツネ。トキソプラズマ症と犬伝染性肝炎のため4年前より保護センターで生活。中枢神経へのトキソプラズマの感染またはトキソプラズマの治療に使用したクリンダマイシンの副作用によるものと思われる旋回、眼振、攻撃性、自傷などの異常行動が見られるようになり、他の動物を攻撃するようになる。ジアゼパム、フェノバルビタールなどの抗けいれん薬や鎮静効果のあるバレリアンやスカルキャップなどのハーブを投与するも、症状は次第に悪化。鍼灸師への紹介時にはすでに投与を中止。

中医学的所見

  • 診察時は落ち着いた様子
  • 脾兪穴の触知時に反応

治療の経過

  • 治療目標:旋回や攻撃性を抑制し、通常の生活を送れるようにすること。
  • 鍼治療部位:
  • 患部周辺のツボ(毎回使用):風池・ 翳風・ 聴宮 ・百会
  • 其の他(交互に使用):後谿・合谷・内関・脾兪・三陰交・懸鐘

鎮静効果が最大になるように、それぞれ1〜1.5 cmの深さに刺し、針を時計回りに回転。第1・2週目は週2回、その後は週1回に変更し、合計5週間の治療を実施。

  • 治療への反応:施針後、数分でリラックスし、身を任せるようになる。治療後も落ち着いた様子が継続。治療開始から2週間目には、旋回が緩やかになり、他のキツネに対する攻撃性も見られなくなった。1ヵ月後には、他のキツネと同居できるようになる。旋回はまだ認められるが、頻度も重症度も低下。
  • 施針部位の選択理由
  • 精神・神経障害:内関・百会・風池・懸鐘
  • 犬伝染性肝炎による肝臓障害:翳風・聴宮・後谿・合谷・風池
  • 脾兪穴の触知により疑われた消化器障害:脾兪・三陰交

獣医師による解説

動物が獣医師や看護師などの見知らぬ人間に対して抱く恐怖心や警戒感を減らすことは、動物の診療を行う上で一番大切なことの一つです。治療を行ってもそれが動物にとって精神的なストレスを生むのであれば、治療を順調に行うことが難しくなり、効果も半減します。

そこで私たち獣医師はまず動物に警戒感を解いてもらうために、飼い主さんがそばにいるうちに話しかける、スキンシップをとる、おやつで釣るなどのいろいろな試みを行いますが、中にはどうしても治療開始前にリラックスしてくれない子がいます。そんな時に役立つツボの一つが今回の論文で使用されている「百会」という額にあるツボです。

図は Color Atlas of Veterinary Anatomy Vol. 3. The Dog & Cat より改変 。

額の真ん中の縦の線が左右の耳道の入り口を結んだ線(左図)または前頭稜(右図)と交差する部位にあります。大後頭神経、耳介側頭神経、眼窩上神経などが走っており、鎮静作用があることが脳波検査によっても示されています [1]。

治療を嫌がる子や極端に怖がりの子には、この部位や関連する部位に鍼を使うことで、無理やり押さえて治療を行う必要がなくなり、病院嫌いになることを防ぐことができます。

病院では鍼を使いますが、自宅で試してみたい方は、大型犬には親指を、小型犬・猫には人差し指(中指の先を人差し指の先に乗せる)をツボに当てて、30秒ほどゆっくりと押してみてください。犬猫があくびをしたり、ツボの温度や柔らかさが変化するといった反応を感じることができるかもしれません。

今回の論文の2症例では、漢方薬を併用するともっと確かな治療効果が得られたのではないかと考えられます。例えば症例2では、ジアゼパム、フェノバルビタール、バレリアンなどが効かなかったことから、神経系ではなく、慢性肝炎が異常行動の原因である可能性の方が高いでしょう。逍遥散は抗炎症効果がある漢方で、肝臓を保護して炎症を抑え、慢性的な肝障害に起因する行動問題を緩和する効果があります。また、肝障害によって弱まった胃腸もサポートしてくれます。